天明の大噴火

世界の歴史を変えた

天明3年(1783年)

 浅間山の北12キロにある嬬恋村鎌原。鎌原観音堂の15の石段の前には小さな赤い橋がかけられている。橋の下をのぞき見ると、石段の延長があり、さらに地中へと続いているのがわかる。
 1783年8月5日浅間山火口から流れ出した鎌原火砕流は斜面をかけくだり、周りの土石を巻き込んで、岩屑(がんせつ)なだれとなって鎌原村に押し寄せた。時速数十キロという速度で押し寄せるなだれを見て、村人たちは逃げ惑った。高台にあった鎌原観音堂に逃げた93人は、目の前で岩屑なだれに飲み込まれていく家族や村を、ただ見ているしかなかった。かつては観音堂の階段は50段まであったが、今日地上に出ている階段はわずかに15段。この15段まで登ることができた人たちだけが助かった。
 岩屑なだれは北を流れる吾妻に流れ込んで堰き止め、下流に大洪水をもたらし、1500人もの命を奪った。

 1979年夏、地中に埋もれた階段の発掘調査が行われた。パワーショベル5m掘り進むと、階段の延長が現れた。そしてそこには2体の女性の遺体が横たわっていた。一方は若い女性で、他方は年老いた女性だという。骨の鑑定から親子らしいということがわかった。1783年夏、迫り来る若い女性が母を背負って熱泥流から逃れようと観音堂の階段を上がろうとしたところ、間に合わずに飲み込まれてしまったようだ。

 

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この階段の際下段には赤い欄干の小さな橋がかけられている。この橋の下を見ると石の階段がさらに地中へと伸びているのがわかる