知床硫黄鉱山の歴史

日本特殊鉱業時代の知床硫黄鉱山

大阪自然史博物館外来研究員・サイエンスライター 山本睦徳


北海道知床半島中央部に位置する知床硫黄山は、大量の溶融硫黄を噴出することで知られている。硫黄はよく知られているように黄色くてもろい固体で、マッチや火薬、ゴム、硫酸、肥料などの原料に使われている。その硫黄を熱すると120℃で溶融し、液体の硫黄に変わる。固体の硫黄は黄色いだが、液体の硫黄は赤茶色になる。

江戸時代末期から知床硫黄山で硫黄が噴出することが知られていて、会津藩によって採掘が始まったのをきっかけに、採掘が行われてきた。記録に残っている範囲では、標高600mの北西山麓に位置する1号火口(現在の新噴火口)から4回の噴火があり、そのたびに大量の溶融硫黄を噴出し、そのつど採掘されてきた。

最後に噴火したのは1936年のことで、当時採掘権を持っていた皆月家から日本特殊鉱業に採掘権が渡り、近代的な設備を導入した本格的な採掘が行われた。硫黄を取りつくした後大半の設備は撤去されたが、今でも石垣などの遺構が山のところどころに見られる。



上の地図は、現在の地形図に、1936-1938年の日本特殊鉱業時代の鉱山施設を重ね合わせたものだ。日本特殊鉱業時代の知床硫黄鉱山は、主に索道(鉄索ともいう)が2本あった。それぞれの索道のさらに標高の高い場所は、鉱車(トロッコ)を走らせる鉄道や索道の搬器に硫黄を積み込む前に一時的に硫黄を蓄えておくシュートが設置されていた。

索道は、①カムイワッカ川に堆積した硫黄を運搬するための第一鉄索と、②1号火口周辺に堆積した硫黄を運搬するための第二鉄索があった。それぞれ、カムイワッカ湾沿岸にある駅まで運ばれて、海岸に設置されていた貯鉱場に硫黄が集められた。硫黄は、そこから船で出荷された。