図3.総合事務所周辺 1953年12月11日
このあたりは鐘打鉱山の中心的な場所で、社宅や売店が立ち並んでいた。

図2.鐘打鉱山
選鉱場(写真左の大きな屋根)
総合事務所(中央の白い建物)
廃石場(手前の白い石の広場)
右端中央より少し下にはドラック分級機と選鉱場から砂を送ったパイプの一部(直線状に斜めに延びている)が見える。

京都府和知町

 鐘打鉱山


   ―草木に埋もれた鉱山の歴史―

図1.鐘打鉱山総合事務所前 1953年5月20日

鐘打鉱山

草木に埋もれた鉱山の歴史


写真:和田 功
文:山本 睦徳

 JR山陰本線和知駅から車で町道安栖里鐘打線を京都方面に4kmほど走ると鐘打の谷が見えてくる。谷に入ってすぐ、道路の左側に今は使われていない木造の建物があり、さらに100mほど行くと、右側にコンクリートの壁がいくつか見えてくる。変わった事といえば、これ以外見られない。木や草が生い茂るごく普通の谷のように見える。しかし、ここはかつて日本で産出されるタングステン鉱石の30%を生産したこともある大規模な鉱山だった。たくさんの人たちがここで暮らし、ここで仕事をしていた。今回この奥深い山間の谷に、消えていく鉱山の歴史を追ってみた。

歴史

 鐘打鉱山の歴史は1930年(昭和5年)池田梅蔵によってタングステンの鉱業権を設定したことから始まる。4年後の1934年には藤野鉱業(株)が設立され、同社に鉱業権が移った。その後、藤野鉱業(株)は日南鉱業(株)、緑産業(株)と社名を変えた。第二次世界大戦中は採掘が盛んになり、月産30トンを産出する国内屈指のタングステン鉱山に成長した。タングステンは物理的に非常に高い強度をもっており、対戦車砲の砲弾や戦車の装甲板に使用された。それだけにこの鉱山は日本の国策に重要な地位を占めていた。

 戦後一時採掘が中止されたが、1948年に再開された。1951年には鐘打鉱業(株)が設立され、一時はタングステンの国内生産の30%を占めるほどに発展した。1958年には日本鉱業(株)の経営になった。発展の影には鉱害問題も発生した。1949年ごろから鐘打鉱山から流れ出る鐘打川の水を使用している水田で稲の発育障害が現れた。鐘打鉱業は対策として沈殿槽を建設したが、1971年には稲や土壌からカドミウムが検出され、1978年から汚染土壌の入れ替えと土地整備が行われた。

 その後、外国から安い鉱石が輸入されたことや、同鉱山の品位(品質)が低下したことが原因で1982年、ついに60年の歴史に幕を閉じた。鉱山施設はほとんど撤去され、現在はわずかに残ったコンクリートの基礎が生い茂る草木の合間に見られるだけとなった。

鐘打鉱山・山間にできた人造の街

 谷の入り口付近にある木造の建物をすぎて100mほど行くと、コンクリートの塀のようなものや、コンクリートの台座を見ることができる。鉱山が稼動していた1950年代、この辺りは総合事務所や選鉱場、廃石場などが所狭しと集まっていた。

 1951年から15年間この鉱山で働いていた和田功さんは、坑内や選鉱場で機械の管理と修理を担当していた。そのかたわら、当時の鉱山の様子を記録した貴重な写真を撮影していた。そこには私たちが過去においてきた鉱山の歴史が如実に記録されていた。

 1953年当時の写真を見ると、山の斜面を利用して作られた選鉱場(図3)があり、ここから2kmほど離れた場所で採掘されたタングステン鉱石をズリと呼ばれる鉱石を含まない石から分別する作業が行われていた。選鉱場の周りは石垣が組まれて階段状に整地され、さまざまな建物が並んでいた。写真の左側に見られる山の斜面にそって大きな屋根をもつ建物が選鉱場だ。その手前の黒い木造の建物は鉄工所で、道具類や設備の一部がここで修理されていた。川を隔てて右側には白い木造建築の総合事務所が見られる。これらの施設の間を通る大通りにはバスが通り、ここから4km離れた国鉄和知駅まで労働者を送り迎えしていた(図1.ただし、この写真は祭りの日に撮影された)。

 戦後、鐘打鉱山(株)が創業を開始してからしばらくすると、社宅ができて、遠方からの出稼ぎ労働者も集まり、一時期は従業員300人を数えたこともあったという。日常の買い物は供給所と呼ばれる売店でほとんど事足りていた。京都交通のバスが国鉄和知駅と鉱山の間を往復していた。朝は和知駅で労働者を乗せて鉱山へ運び、鉱山社宅の子供たちを和知町の学校へ送っていた。逆に夕方は学校の子供たちを鉱山の社宅へと運び、帰りに労働者を和知駅まで送っていた。社宅では家賃と水道代は無償だったが、電気代は有償であったという。また会社のレクレーションとして、国鉄の列車を借り切って天橋立への旅行が企画され、労働者は家族ぐるみで参加した。現在は草木が茂るこの山間の谷で、多くの人たちの暮らしがあったのだ。

採掘の様子

 タングステン鉱石はこの道をさらに山奥へ2km入ったところで採掘されていた。現在は金毘羅神社という山奥にしては大きな神社があるが、その神社の南側には生い茂る草木の間に、廃石をダンプカーに積み込むためのコンクリート製の設備が見られる。(図6、7)

 坑道は地下数百メートル掘られていた。水平坑道を掘り進み、天井へ掘って上がりながら鉱石を下に落としてトロッコに乗せる採掘法がとられた。鉱石は竪坑に運ばれてスキップというバケツ状の容器に移されてエレベーターで地上へと引き上げられる。鉱脈にそって掘り進んでいくため、場所によっては天盤(天井)の高さがわずか40cmのところや、傾斜がきつい場所があり、大変苦労したという。傾斜がきついと、掘り進んだり、落盤を防ぐための支柱をたてたりするのに苦労する。傾斜がゆるいと、鉱石やズリ(不要な石)を掻き出すのに苦労する。

 地下60mの地点で毎分1立方メートルもの地下水が湧いていた。これを20馬力(20HP4段タービンポンプで汲み上げ、坑道の外に出す。逆にコンプレッサーを使って圧縮空気を送り、坑道内の換気と機械の動力に使用していた。電力が使われたのはエレベーターと排水ポンプにのみで、その他の機械はすべて圧縮空気で動いていた。ダイナマイトを仕掛けるための穴を掘る削岩機もまたこの圧縮空気によって動いていた。

坑内での作業は過酷で、常に落盤などの危険と隣り合わせであった。

第一選鉱:
鉱石と不要な石(ズリ)を選り分ける

 採掘された粗鉱石は大きさがまちまちで、しかもズリという不要な石が同じ塊に付いているため、小さく砕いていき、最終的にはメリケン粉状にすりつぶして、純粋な鉱石にまで純度を高めていく。その作業の第一歩が坑道を出たところで行われた第一選鉱だ。

竪坑を巻き上げ機で最上部の水平坑道まで引き上げられた粗鉱石はバッテリーカーが牽引するトロッコに乗せられて坑道の外に運び出される。運び出した粗鉱石は120ミリ角のグレートバーと呼ばれるふるいにかけられる。鉱石があまり大きいと選鉱するのが困難なため、まずここで120ミリ以下にするわけだ。通過しない大きな鉱石はハンマーで砕いてふるいを通過させる。

次に直径50ミリのトロンメルという回転するふるいにかけられ、50ミリ以下の鉱石を選別する。回転ふるいの中に残った鉱石は、幅60cmの水平ベルトコンベヤーに載せられ、ゆっくり移動させる。ベルとコンベヤーの両側に10名くらいの女工員が立ち、手には怪我を防ぐための指サックをはめて粗鉱石を目視選別して、鉱石が付着していないズリを取り除く。(図8)

 トロンメルとベルトコンベヤーの目視選別で残った粗鉱石はダンプカーで2km離れた選鉱場に輸送された。

第二選鉱
鐘打鉱山の大規模な選鉱場とその様子

 第二選鉱は選鉱場で大規模に行われていた。採掘された粗鉱石は選鉱場で細かく砕かれ、最後には粉末状にすりつぶされ、鉱石だけを選び出した精鉱と不要な石のズリとに分けられた。

選鉱場ではまず、粗鉱は水を流しながら直径20ミリ目のトロンメルにかけられた。ふるいの上に残った鉱石は再び80cm幅のベルトコンベヤーに載せられ、前回同様、10人ほどの女工員が手作業で目視選別していく。(図9、10)大きな鉱石はクラッシャーにかけられて細かく粉砕され、先に20ミリ目のトロンメルを通過した鉱石と混合して、1分間600回もの往復運動をするスクリーンでサイズを分別する。スクリーンとは目が細かいふるいのことで、ここでは12メッシュのふるいが使用された。(図11)スクリーンを通過した砂状の粗鉱石はミネラルジックという砂状の粗鉱石を比重で選別する機械にかけられて最初の精鉱が採取される。

 スクリーンを通過しなかった大きなサイズの粗鉱石はクラッシングロール(ロール砕鉱機)ですりつぶし、バケットエレベーターで先のスクリーンに戻される。(図12)

 一方ミネラルジックから排出されたズリを多く含む粗鉱石は20メッシュと48メッシュの二段ふるいにかけられ、

 @20メッシュより大きな粒、

 A20メッシュから48メッシュの大きさの粒、

 B48メッシュより小さな粒

3種類に分別される。(図13)これは選鉱機械にかけて分別するために粒径をそろえる作業だ。

 まず@の20メッシュより大きな粒はロッドミルで粉砕して再び先の二段ふるいにかけられる。ロッドミルというのは太さ直径3060mm、長さ1.2mの炭素鋼を5070本入れた円筒を回転させて、その中に粗鉱石を入れて叩き潰す機械だ。

 Aの20メッシュから48メッシュの大きさの粒はウィルフレーテーブルに載せられ、比重(体積を1立方センチメートルにしたときの重さを比重という)により淘汰選別される。これを比重選鉱という。

ウィルフレーテーブルは傾斜したテーブルで、リッフルという細い(サン)が水平に何本も取り付けられている。テーブル全体が前後の運動をする。ただし、前進する際はゆっくり動き、急激に後退する。テーブルが急激に後退するときに慣性力によって鉱石が前進する。このテーブルはこんな運動を1分間に何百回も繰り返すのだ。テーブルの片方に粗鉱石が載せられ、この特殊な運動によって、粗鉱石が徐々に前へ進んでいく。テーブルの上には水が流されていて、粗鉱石が移動する際に軽い粒は流されて落ちるが、タングステンを含んだ重い鉱石は桟の上に残り、ウィルフレーテーブルのもう片方の端へ移動して鉱石として採取される。(図14)

 Bの48メッシュより細かな粒はカローコーン(図15)に入れられる。カローコーンの中では重い鉱石の粒がそこへ沈み、上澄みが外へ流れ出す。そこでは丸いボールが上下運動しており、排出される泥の量が上から注がれた量の2分の13分の1になるように調節されている。ここから出てきた泥水はスピゴットという。このスピゴットはジェームズテーブルで比重選鉱にかけられる。(図16)

 これらの作業で出た砂混じりの排水は4インチサンドポンプで川向こうの山(総合事務所の裏手の山)に送られた。(写真17)泥水送水パイプ内部の下の面がより早く磨耗するので、時々送水パイプを回転させて、耐久年数を延ばす工夫がなされた。

ドラッグ分級機で砂粒を取り出し、廃石として排出した。(写真18、19)砂を取り出した上澄みは一辺50mもの巨大な沈殿池に貯め、自然にあるいは沈殿促進剤を用いて泥を沈殿させる。数日後に透明になった上澄みを鐘打川に流した。この作業を交互に行うために、沈殿池はいくつかあった。

谷向こうへ送られた泥水は、ドラッグ分級機が置かれた山の斜面は、選鉱場からトロッコで運ばれた廃石やドラッグ分級機から出た砂が高く積まれ、一時は野球ができるほどの広場が出現した。

 さて、話は選鉱場の中にもどそう。各テーブルで選別採集した精鉱と片刃(カタハ)は別々に乾燥させて、静電気選鉱と磁力選鉱にかけられた。(注釈:片刃とは鉱石とズリがくっついたものや、鉱石の砂粒とズリの砂粒が混じったものをいう)

 静電気選鉱は直径30cm、長さ1.2mほど円筒に1500025000Vの高電圧をかけて回転させる。鉱石を上から入れると、電気をよく通す良導体のタングステン鉱石は反発して前方に落下するが、電気を流さない不良導体のズリは電気に反応せずに真下に落ちる。(図20)

 次に磁力選鉱にかけるのだが、前処理として、粉末状にした鉱石粒に磁性感応性を与えるために(つまり、石が磁気でくっつくようにする作業)重油炉で鉄鍋に入れて焙焼(バイショウ)する。このとき、有毒な砒素が発生するので、作業者はマスクを着用する。

磁力選鉱は直径80cm、長さ90cmくらいのドラムの中に200ボルト、510アンペアの磁極を内蔵して静止させ、ドラムをゆっくり回転させて行われる。磁性鉱物はドラムに接着して、磁力のないところで、落下して鉱石として採取される。磁力のない石は接着しない。(図21)

 静電気選鉱と磁力選鉱により選別された精鉱は製品として30kgずつ紙袋と布袋で二重包装され出荷された。

 静電気選鉱と磁力選鉱のどちらも片刃が出るが、これはボールミルでミクロンサイズにまで粉砕する。ボールミルは直径90cm、長さ1.2m程度の筒に直径5cm6cmくらいの炭素鋼ボールが入ったもので、球の接点で石を砕くため、非常に細かく粉砕することができる。(図22)

 このメリケン粉状になった粉末鉱石を浮遊選鉱にかける。石鹸水の中にメリケン粉状になった鉱石粉を入れて攪拌して静止させる。石英は沈降するが、鉱石は石鹸の泡に付着して浮く。この泡を集めることによって、鉱石を選別する。この処理で排出された泥水は沈殿池に入れられて回収された。

 選鉱場に入る粗鉱石は1ヶ月あたり約1000トンであった。そのうち、生産された精鉱製品は約13トンあった。

 総合事務所の裏に山積みになっていた石英の廃石は製鉄所の溶鉱炉の潤滑剤として製品として出荷された。



謝辞
 この記事は和田功氏のご協力によりここに掲載することができました。取材にあたっては、鉱山が稼動していた当時の様子やご自身の体験を写真や図を用いて詳細にわたりお話いただきました。心から感謝申し上げます。なお、ここに掲載された白黒写真はすべて和田功氏が撮影されたものであり、無断での転用は固く禁じます。 



引用・参考文献
 わち町報
 和知町町史p764-767
 和田功(2001) 私と鉱山    
 ペグマタイト 04−2 p11-18
 選鉱学 (昭和29年) 国民工業学院 
 

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図4.1955年元旦の記念写真

図5.労働争議も行われた

図7.金毘羅神社の隣にあるコンクリートの施設跡。
山の上に積まれた廃石をこの施設をつかってダンプカーに載せた。

図9.選鉱場での手選鉱
ベルトコンベアの上の鉱石とズリとをより分けている。これは主に女工員の仕事であった。

図10.手選鉱作業に従事した社員

図11.ふるい目の大きさはメッシュという単位で表される。たとえば、20メッシュといえば、1インチの幅に20の目が並ぶ大きさをいう。よって番号が大きくなるほど目は細かくなる。

図13.二段ふるいの原理
上に粗い目の、下に細かな目のふるいを重ねることによって、粒径によって3種類に分けることができる。

図16.ジェームズテーブル(上から見た図)
ウィルフレーテーブルより細粒の比重選鉱に用いられる。テーブルはこの図の左右に運動する。手前にわずかに傾いていて、水が一面に流れている。図の右上から給鉱すると、鉱石を含まない軽い粒は水にながされて、手前へ流れて落ちる(鉱尾)。鉱石は重いため、水に流されず、テーブルの動きに合わせて左へ動き、精鉱として採取される。不純物を含んで少し軽い片刃は少しだけ水に流される。

図17.選鉱場で出た泥排水を選鉱場から谷向かいの廃石場へ送り出す泥水送水パイプ。

図18.ドラック分級機
この機械で泥の中から砂を取り出した。

図21.グレンダル磁力選鉱機
ドラム1の中には磁極2がある。ドラムは毎分30〜35回転する。3から鉱石を入れる。ドラムの下には水がたまっている。4から水面へ向けて水が噴出していて、3から供給された鉱石を水面近くへ吹き上げる。鉱石が5を通過する際に、磁性鉱物(磁石にくっつく鉱物)はドラムに付着し、鉱尾(ズリ)は6へ沈む。磁性鉱物はドラムにくっついて移動するが、磁極がなくなるところでドラムから離れて、8で回収される。水は7から排水される。

図22.ボールミル(コニカル・ボールミル)
回転するドラムの中に鋼鉄のボールが入っている。鉱石を投入すると、ボールとボールの接点にはさまれて砕かれる。このドラムを回転させると、同じ大きさのボールのや鉱石が図のように集まる。大きなボールと鉱石は底の部分に集まり、細かなものは出口にやってくる。よって右側の排出口では細かくくだかれた鉱石が採取できる。

図15.カローコーン

図14.ウィルフレーテーブル
米粒大になった石はテーブルの右上に供給される。テーブルには3〜5度の勾配がついていて、図の上部に給水された水は図の下へ向かって流れる。それにたいして、図の右に給鉱された鉱石はテーブルの運動によって図の左へ、つまり水流に対して垂直の方向に移動する。(テーブルは左へゆっくり動き、右へ急激に戻る運動をするため、慣性力によって粒は左へ移動する。)このとき比重が小さな粒は水で流されて図の下の方へ行く。それにたいして比重が大きな粒は水に流されず、左へ移動し、精鉱として採取される。

図12.スプリング式ロール砕鉱機
=クラッシングロール
回転する円筒状のロールの間に鉱石を投入して粉砕した。大きな粒が入った場合には、ロールの間隔が開いたが、右のバネによって再びせばまった。

図8.トロンメル
筒の表面にはたくさんの穴が開いていてふるいになっている。回転する筒の右から粗鉱石を砕いたものを入れると、細かな粒はふるい目から出て下に落ち、粗い粒は左側に出てくる。

図19.ドラック分級機
泥の中を羽根がついたベルトコンベヤーがまわり、沈殿した砂を掻き出す。掻き出した砂は廃石場に積まれた。一方からは上澄みが排出された。

図20.静電気選鉱
ドラムを2の電極によって帯電させて回転させる。3から鉱石を投入すると、鉱石中の良導体はドラムと同符号に帯電し、反発するように4に落ちるが、不良導体は帯電せず、5に落ちる。このときの電圧は15000〜25000ボルト。

図6.金毘羅神社